自由に気ままにきものを楽しむ、とはいっても当然、人の目のあることなので、
着るからにはカッコよく目立ちたい!ですよね。
何がカッコいいのかは人それぞれですが、自分の目のほかに誰の目を意識するか、
というと、私は「京都人の目」を意識します。

私は18まで京都で育ち、親戚には西陣織や京友禅の関係者が何人もいたので、
京都流の「いや〜、あの人どないやろ」という通りすがりの横目の一瞥にも込められる、シビア〜な視線を知っています。
センスの善し悪し、着物や帯の上等さ加減から、その人の暮らしぶりまでを
一瞬にして判断するような「値踏み視線」・・・。
そのシビアさ確かさは、こときものに関しては東京なんて比じゃありません。

私も京都で着物を着たときにはチリチリッと感じましたが、ま〜当時は若かったし、
着物を着ているというだけで珍しかったので、大甘に見られていたと思います。
観光客とわかる観光客にも、京都の人は優しいです。
が、もうちょっとディープに京都に入り込むと、感じると思いますよ〜チリチリッ。

おおコワッ!?いえいえ。この視線があるからこそ、きものは京都で腕だめし、さらには
この視線を意識すればこそ、きもので女磨き、できるんじゃないでしょうか。

舞妓や芸妓さんが洗練されていくのも、いくつになっても艶っぽくカッコいい京女が多いのも、

この視線の中で生きてきたからこそだと思います。

で、私がめざしているのは・・・「京都流の視線を煙に巻くような着こなし」です。
たとえば京都の老舗の会が、お寺を借り切って開く展示会などで、
「何をしたはる人かわからへんけどカッコええな〜」なんて思わせられれば最高!
着物や帯のモノの善し悪しとか新しい古いとか、そんなこと吹っ飛ぶような
全体としてのカッコよさ、これです 0d02.gif

と、書いてみて気づいたけど、これってきものに限らず女として人間としてカッコよく
ありたい、と言っているのと同じことですね〜。あら大変。
年だナンだと言ってられない、まだまだこれからだわ!